江のブログ

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学校で数学や物理を勉強をする意味~皆が勉強しないといけない理由

「勉強は何のためにするのか?」誰もが一度は考えたことのある疑問だと思います。特に中学,高校で習う小難しい数学や物理の数式は何の役に立つのか?「思考力がつく」「人生の選択肢が増える」「生きる力をつける」など有名人やインフルエンサーの答えを目にしますが,しっくりこないものが多いです。今回は,これらの有名人が答える回答とそれについて思うこと,勉強する真の意味についてまとめてみました。

 

有名人の意見

 最初に私自身の答えを言うと,

理数系の勉強は「科学技術」が関わる一部分野で直接的に全て役に立つ。ただ,そのまま使わない仕事を選んだ場合でも,勉強を通じて経験する知識の獲得の仕方や思考方法などを仕事や実生活に間接的に役立てることはできる

となります。

 

 一方,勉強が直接役立つのが一部の人に限られるにも関わらず全員に教育を施すのは,

『日本政府として日本の産業の国際競争力を維持・強化するのは責務である。そのため,国際競争力の源泉となっている科学技術およびそのベースとなる理数系科目を身に着けた人材の育成が重要であり,全員に教育を施すことで,その候補となる才能を漏らさず育成するため

となります。(これを言って,勉強をやりたくない子供たちをモチベートすることはできませんがw でもそれは生きる力云々でも同じでしょという)

 

一方,「勉強の意味」についてYoutubeやGoogleで検索すると,有名人の回答が挙がってきます。

松丸亮吾(メンタリストDAIGOの弟)

勉強はそのもの自体が役立つわけではなく「嫌なことをちゃんとこなすことができる」という証明書

出典:勉強する意味って何?【松丸亮吾の勉強論】 - YouTube

 

勉強の内容そのものは役に立たない,と言ってしまっています。そして少し論点をずれして,勉強というプロセスの結果である「学歴」の価値について語っているようです。

 

また動画の中で引用された太宰治の言説として下記が紹介されています。

植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間の許す限り勉強しなければならない・・・日常生活の役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。

出典「正義と微笑」

 

偉人も,勉強は人格形成に役に立つと言っているようです。

 

ひろゆき:

(勉強を通じて)必要なことを調べて理解するという能力が身に付く

出典:【ひろゆき】勉強をする意味ってあるんですか?という悩みを呆気なく解決してしまう。。 - YouTube

 

こちらも勉強の意味そのものには言及していなくて,勉強する習慣や姿勢を通じて調べる能力が身に付くと主張しています。

 

いずれも学校で習う内容自体には意味がなく,間接的に役立つというものが多いようです。

他にもググって調べてみても,教育関連サイト中心に既視感のある『視野を広げるため』『人生の選択肢を広げる』など,曖昧に感じる回答が多いです。

これらの意見を聞いて思うのは,総じて勉強の内容自体はあまり意味がなく,”勉強に対する姿勢や勉強するというプロセスが持つ間接的な効果”を謳うものばかりということです。

 

それならば,学校で習う内容は国語,数学,英語,理科,社会などの科目を教える必要はなく,若い子をモチベートする偉人伝や思考を活性化する脳トレや論理クイズをやる方が効率が良いとなると思います。さらには,”結局,小難しい数学公式などは社会では役に立たないんだ”,という結論になります。

 

勉強をする意味

勉強の中身そのものに意味はあるのか?

 ”勉強が一番役に立つのは予備校講師”・・・というのは冗談として,製造業の研究開発職に身を置いて20年の自分の視点から少なくとも言えることとして,

 

 業種やその分野によっては勉強の中身そのものが必要不可欠な知識として役に立ちます。

しかし,その直接的な恩恵を受けるのは勉強した全員ではありません。

 

ということです。

 

 そして,直接的に勉強の恩恵を受ける”以外の人たち”にとっては,勉強の内容そのものは中学校で学ぶ程度のもので十分であって,残念ながらそれ以降の高校や大学で学ぶ「勉強の中身自体」は殆ど意味はないと思います。そして先に書いた,勉強から得られる間接的なメリットである,「知らないことを調べる能力」,「忍耐力」,「生きる力」のような,勉強する”プロセス”から得られるメリットに限られると思います。

勉強の内容そのものが役に立つケース

 

 それでは勉強の内容そのもののが直接的に役に立つケースはあるのでしょうか?と言うとあります。

 学校で習う勉強,例えば数学・物理・化学などの基礎学問は,インフラから,半導体・車・電化製品などの量産品,化学薬品から製薬などなど,あらゆる製品の研究・開発・設計に必須だったり,少なくとも基礎となっています。

特に研究・開発など,製品の基本原理を理解したり,その上で設計しようとすると,数学・物理・化学で習う数式(多くの場合より複雑)が必須になり,これら無しには製品の実現はできません。(これらに携わっている人からすれば当たり前のことです)

 

最近台湾企業の工場誘致のニュースなどでも話題で,私も携わっている半導体分野を例にあげます。

 

I=Is(exp(qV/kT)-1)

簡単な例ですが,これは半導体で最も基礎的なダイオード素子の電流-電圧の関係を表す式です。

実用上暗記は必須でないですが,少なくとも理解できないと半導体の開発・設計はできません。この式では高校で習う,”指数関数”がでてきます。これは一例ですが,数学で言えば微分積分,対数などほぼ高校数学の全てが,物理では電磁気が必要です。また,半導体1つとっても,半導体製造プロセスでは高校以降の化学の広範囲な知識が必要になります。

 

これは半導体というイチ産業に限られる話で”ない”のは言うまでなく,車,飛行機,製薬,医学,将来的には宇宙などとあらゆる製品が,それぞれの分野での基礎原理は違えど学校で習う物理・化学の原理で動作し,その動作が数式で記述されます。

これらの製品の基礎となる内容は高校はおろか大学でもカバーしきれなくくらい広範囲なものです。これらの理解無しには,先の製品群は生まれません。

最初の質問「勉強の内容そのものに意味はあるのか?」に戻ると,これら主要な産業分野の特に研究・開発で学校で勉強した内容では直接的に役に立っている(なくてもならないもの)というのが真実です。

 

皆が勉強しないといけない理由

皆が勉強 ≠ 皆に役に立つ

では,”直接勉強が役に立つのは一部の人材に限られるのであれば,特定の職業につく人以外は小難しい勉強は必要ない!”となるのでしょうか?

 

文系のことは良く分からないのですが,国語は勿論,少なくとも政治経済関連の科目で役立つ部分はありそうです。

専門外なのでこれ以上の言及は避けるとして,理系についてフォーカスして語ると,上でも先に書いたように実際のところ,”結局は勉強が直接役に立つのは理科系の一部の人材に限られるのでは無いか?”→Yesだと思います。

すべての人が科学の原理を使った製品開発をする訳ではなく,理系でも業種によっては小学校までの算数が分かっていれば十分な場合も多々あると思います。

 

しかしだからといって,”学校の勉強の内容に意味ない”、特に”皆が勉強する必要がない”とはならないことについて,次に考えてみます。

皆が勉強しないといけない理由

 先にあげた,インフラ,車,半導体,飛行機,製薬など(網羅性に欠けますが。。)の分野は国の基幹産業と言えます。先の述べたように,学校で勉強する内容は,これらの産業の維持・成長であったり,イノベーションを起こすための基礎です。ですので,国がこれらの産業をベースに国際競争力を維持・強化するためには,これらの基礎を身に着けた人材の育成は欠かせません。

 

 ではその際,将来上記産業に携わる学生のみにピンポイントで教育を施すことで,量・質ともに十分な人材を育成することは可能でしょうか?それは困難です。日常生活に直接役に立たないからと言って,ごく一部の人しか基礎学問を教えなければ,才能の取りこぼしが顕著となるでしょう。

 

 それよりむしろ,それぞれの分野の人材を育成して人材を適正配置するには,基礎的な教育をなるべく全員に施し,その中で優秀人材を漏れなく選抜していくことが必要です。さらに,広範囲の基礎教育を施した後に,分野ごとの適性,車産業であれば車,半導体産業であれば半導体の研究者・技術者としての適性を見極めて貰い,更なる専門知識の獲得に励んで貰わないといけません。

全員に教育を受けさせた結果,自身の才能し専門分野の道を歩んでいく人が生まれる一方で,勉強したことをほどんど社会に生かせない人達もでてきます。

しかし繰り返しますが,基幹産業において競争力を維持するための教育施策の結果として仕方のないことです。

つまり結論としては,一部の優秀人材を漏れなく選抜するために皆が勉強しないといけない,となります。

 

 少し論点がずれますが,もし日本が今後「日本の伝統文化が魅力の観光立国になる!」というのであれば少し話は変わってくると思います。全員に受けさせる教育の内容も,もう少し一般に興味の引く内容であってもいいのではないかとは思います。しかしその場合であってもも,最低限の電力系統などのインフラを支えるエンジニアは必要になるし,その必要不可欠な人材を埋もれさせるような教育はしてはならないはずです。

 

勉強する意味が曖昧にしか語られない理由


 それでは以上のように勉強の内容そのものが役に立つ非常に単純明快な事例があるにも関わらず,なぜ一般的には勉強の意味が曖昧にしか語られないのでしょうか?これは,「勉強をする意味」という素朴な疑問がずっと明確に答えられないまま,あたかも答えの無い永遠の問い,であるかのように扱われている現実にも関係していると思います。

 

1つは「言ってはいけない真実」を含んでいるからだと思います。以上を要約すると,”勉強をする意味とは,基幹産業に基礎知識を身に着けるためであり,直接的に役立つのは一部の人たちであるが,全員教育をさせないと才能を取りこぼすから全員に受けさせる。その結果,勉強した内容を社会に役立てられない人たちも相当数でてくるがそれは仕方がない。”といったものです。いかにも選抜された優秀層以外を切り捨てるような考え方に聞こえるので,世間一般には受け入れられないでしょう。そのため,世の中で勉強をする意味が語られるときは,教育が受けた全員がメリットとして享受できる”勉強に対する姿勢や勉強するというプロセスが持つ間接的な効果”となるのだと考えられます。

 

2つ目に,勉強した内容を直接仕事に役立てている研究者や技術者たちの声が世の中に届きにくいということがあると思います。

一方で,勉強をする意味について発信しているのは,上にあげたインフルエンサーのように,社会に出て学問を実践的に使ったことのない人達です。そのため,彼らから出る言葉もやはり,勉強に対する姿勢や勉強するというプロセスが持つ間接的な効果が中心になると考えられるのです。

 

まとめ

 ここまで「勉強をする意味」について,世間で言われている意見と,自身の体験に基づいた意見について述べてきました。後者については繰り返し書いてきましたが,”まとめ”ということで最後に要約すると「勉強した内容は仕事の分野によっては直接的に役に立つ。ただ,そのまま使わない仕事を選んだ場合でも,間接的には〇〇や△△(色々言われいてるヤツ)でも役に立つよ」というのが正しく,前向き?な答えではないかと思います。