江のブログ

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野球の二刀流が基本意味ないと思う理由

今回は野球の二刀流の存在価値について考えてみました。二刀流といえば大谷翔平選手で,今は確かに前代未聞の成績ということで話題です。しかし,チームの戦力として考えたときに,二刀流の価値それほど大きいのでしょうか?個人的には,1人で投打で好成績を残すのが凄い・希少である・話題性があるということと,所属チームへの貢献は別けて考えるべきだと思うのです。今回はその「チーム戦力への貢献度」という観点で二刀流の価値について備忘録的に考えてみました。

 

二刀流の価値~DH制でなければ”有る”

 まずDHの制度がなければ,投手は打席に立たねばなりません。この場合,打力が期待できない投手が打力を持つことで,チームとして戦力アップになります。”DH制がなければ二刀流は価値がある” これは間違いないと思います。
しかし、メジャーでは両リーグともDH制度があります。以下,DH制度がある前提で考えます。

DH制なら二刀流の戦力価値は低い

 この場合,結論から言ってしまうと,”二刀流の投手以上の打力をもつ打者がいれば”,投手として打力を発揮する必要性も活躍の場もなくなります。つまり,例え二刀流と呼ばれるだけの打力があったとしても投手としての活躍の場しかなく、二刀流の戦力的な価値は殆ど有りません。

 

仮にチーム内に二刀流選手の打力を上回る打者がいない場合は,その二刀流選手は投打で活躍の場が与えられ,その打力はチームの戦力となります。しかし,もしこれと同じ戦力を得たい場合は,同等の力をもつ打者を補強して連れてくればよい,ということなります。

 そうすれば「打」の戦力は同じとなり,「投」についても高価な(給料の高い)二刀流の選手の代わりに,打力は度外視して同じ投手力のある選手を連れてくれば,二刀流はもはや不要となってしまいます。つまりDH制下において,二刀流の戦力は「補強」により獲得できてしまうということです。

 つまり,チーム戦力への貢献という意味では,二刀流1人と,それぞれ「投」「打」において同じ成績を残せる2人の選手は同じです。あとはどちらがトータルで費用面で高くつくか,というチーム戦力とは別の金銭メリットの話です。

イマイチな二刀流批判

 ここまで書いてきたことは別に二刀流批判ではありません。投,打,いずれかにおいてリーグトップの成績を残すスター選手と比較すると,二刀流はその話題性に比して,「チーム戦力」という観点で貢献度はそれ程高くないのではないか?,ということです。それだけです。

しかし一方で世の中には的を得ていない,イマイチ(一部意味不明?)な二刀流「批判」もあります。以下のその一例と”突っ込みどころ”をまとめてみます。

 

・DHという便利なシステムがあるのに,わざわざ投手である二刀流を使う必要はない

DHの選手より打力の高い二刀流の選手がいれば,チームの戦力に貢献できます(上述)。

大谷選手の場合は、投手として優れているだけでなく,大谷選手のセカンドチョイスとなりうるDH選手より打力が高いので,チームの戦力向上が期待されるので起用されています。

 

・体力面で無理じゃないか?

→体力面で無理であれば活躍していないので,そもそも議論の対象にはなりません。大谷選手のように体力面で問題なく活躍しているからこそ,そのチーム戦力への貢献度について議論しています。

 

・二刀流選手の為にチームが合わせるのではなく、チームの為に二刀流選手をいかに活かすかが重要

→そもそも二刀流を成立させるためにチームを犠牲にするなどどこのチームもやっていないし,やる必要もない。ただし,仮に二刀流合わせたとしも,結果的にチーム全体の戦力が向上するのなら,その判断は正しい。

(この記事では,それより同等以上の成績を残せる打者や投手を連れてくる方が手っ取り早く戦力があがるのではないかと言っています。)

 

・二刀流は投手のローテーションなどチームに迷惑をかける

→仮に迷惑をかけるデメリットがあっても,なお戦力としてのメリットが上回れば,二刀流は起用されてしかるべきです。(ただ,この記事では,それより同等以上の成績を残せる打者や投手を連れてくる方が手っ取り早く戦力があがるのではないかと言っています。)

 

2022年の大谷選手は例外だが

 例えば2021年の大谷選手の例でいうと,打者としては本塁打リーグ2位でしたが,投手としては9勝でした。先ほどの論理で言うと,勝ち数だけで議論するのは乱暴ですが,この成績を上回る成績の投手はたくさんいたわけで,二刀流である大谷選手と同じ働きをするには,大谷選手の打者として貢献はそのままに,加えてそこそこ優秀な投手を連れてくれば良かったということになります。つまり,2021年の大谷選手としての価値は二刀流にはなく,本塁打と打点を量産するという「打力」にありました。

 しかし,2022年は違いました。リーグ本塁打4位打点7位,防御率・勝数4位でした。投打いずれにおいても,他から同等以上の成績の選手を補強により連れてくることが実質困難な極めて優秀な成績でした。つまり,2022年の成績においては投打どちらも替えの利かない成績であり,この年は,替えの利かないチームの戦力として,二刀流として、機能していました。

 ただし,この二刀流の成績が100年に一度の出来事だとすると,その希少性や話題性と比して,チームへの戦力的な貢献度という点でいうと,やはりDH制下での二刀流の限界を感じざるを得ず,「100年に一度レベルの貢献度」というと言い過ぎになるでしょうか(誰もいってないかもしれませんがw)。2022年のリーグ4位の投打の選手を揃えたくらいの貢献であり,例えば本塁打年間70本とかほどの貢献度にはならないのかなと思います。

まとめ

 今回は,大谷選手で話題の野球の二刀流について考えてみました。今や主流のDH制においては,その話題性に比して,二刀流によって他では得難い特別な戦力が得られるということはなく,補強により同等の戦力は獲得可能であること,2022年の大谷選手は例外的で補強により同等の戦略を獲得するのは困難な極めて困難であるが,やはりそのその希少性や話題性と比して,チーム貢献度はDH制下においては低めにならざるを得ない。言い換えると,DH制がなければ,廃止されれば,大谷選手は史上最高の選手としてさらに評価があがるのになぁ・・・と夢想してこの記事を終えたいと思います。