Quora(クオーラ)という投稿サイトはご存じでしょうか?ヤフーニュースのコメント欄(最悪)やヤフー知恵袋(ニュースよりは遥かに良いですが)と比べると,知的レベルが高めのナレッジコミュニティ・Q&Aサイトです。その中に,「韓国はなぜノーベル賞を取れないのですか?」という質問(Q)がありました。それに対して,「韓国が漢字を捨てたから,抽象的概念の把握に劣るハングルを採用したからだ」という答え(A)がありました。
今回の記事名は一見,嫌韓が大喜びしそうなタイトルですが(笑),今回はその答えへの反論(ノーベル賞とハングル云々は無関係)をしてみたいと思います。
韓国がノーベル賞を取れないこととハングルを結びつける言説
韓国がノーベル賞を取れないこととハングルを結びつける言説は次のようなものです。
「ハングル」は「ひらがな」と同じ表音文字である。日本語は「ひらがな」+「漢字」があるが,ハングルは「漢字」(に相当する表意文字)を持たない。日本語では「ひらがな」+「漢字」を組み合わせることで、ひらがなだけでは分からない抽象的な概念も理解できるし,単語の区切りが明確になることで「ひらがな」だけでは読みにくい文章が読みやすくなる。
一方,ハングルは漢字のように表意文字に相当するものを持たないので,抽象的な概念の理解に支障がでるし,「ひらがな」だけで構成された文章のように読みにくい言語である,といったものです。
例えば、このブログのタイトルも漢字を使わないで,「かんこくがのーべるしょうをとれないりゆうとはんぐるのかんけいについてぎろん」となっていたら,読みにくくて仕方ありません。日本人にとって「ひらがな」だけの文章はとても読みにくいですが,韓国人は日常的に「ハングル」の読みにくいさを感じている、という言説です。また逆説的に,このような読みにくい言語であれば,抽象概念の理解にもハンデがありそうです。
先のアナロジーの間違い①:ハングルは英語同様、単語間にスペースがある
嫌韓が喜びそうなこの言説。欠陥だらけだと思います。
まずこちらの例:「かんこくがのーべるしょうをとれないりゆうとはんぐるのかんけいについてぎろん」
私は言語について全くの素人ですが,韓国語について調べるとすぐわかるのが,英語のように単語と単語の間にスペースがあることです。一方、日本語はひらがなと漢字の混在をこれを補っているのと,単語の間にスペースがないので「ひらがな」だけだと区切りが分からず極めて意味が分かりづらくなります。
このことから,上の例(「かんこくがのーべるしょうをとれないりゆうとはんぐるのかんけいについてぎろん」)をもって韓国語の読みにくさを例えるの無理があります(より文字(アルファベット)の種類の少ない)英語でスペースがなくなったら意味不明であることからも分かると思います。
先のアナロジーの間違い②:ハングルは音の数が多く同音異義語が少ない
さらに少し考えれば,ひらがなが51種しかない日本語は,同音異義語が多くて表現の幅が狭いからこそ,表意文字である漢字による(抽象概念?)理解の促進の恩恵が大きいことは分かると思います。
一方,ハングルは,これも調べればすぐにわかりますが,音素の組み合わせで3000以上の音があるようです。そのため同音異義語は少なく,漢字による理解促進の恩恵は日本語に比べてだいぶ少なくなります。
ですから,①同音異義語が圧倒的に多い日本語(ひらがな)を例に出し,かつ②ハングルにはあるスペースもなくした上で,ハングルの分かりにくさを主張するのは
ミスリードすることになります。(漢字により抽象概念理解が特に日本語で,ハングルでも「部分的に」促進されるのは否定はしませんが。)
ハングルは単なる表音文字にしては複雑すぎる
論点から外れますが,これも的外れな意見です。ハングルは上で書いたように単純な形の音素の組み合わせで音が3000以上にもなるらしいので,それだけバリエーションあれば,違いを表すのに文字の形がある程度は複雑になるのは避けられないことは自然に理解できます。
一方,その成り立ち(単純な形を音素の組み合わせ)ゆえに,漢字のように無駄に画数が多く複雑にはなっていません。
韓国は何故ノーベル賞をとれないのか?
ハングルに抽象概念理解に仮に問題があるとしてノーベル賞とは無関係
上にも書きましたが,漢字により抽象概念理解が特に日本語で,ハングルでも部分的に促進されるのは否定はしませんが,ノーベル賞とれる/とれないと短絡するのは飛躍し過ぎです。
ハングルが抽象概念理解にそれほどハンデがあるなら,なぜ言語を扱う芸術である映画の品質で日本は追い付かれ追い越されているのでしょうか?
ハングルが抽象概念理解にそれほどハンデがあるなら,かつて日本が世界を席巻していた半導体や家電、スマホなどの技術で,日本を凌駕できたのでしょうか?
日本がノーベル賞取れて韓国が取れない理由
ノーベル賞についてですが,20世紀前半には欧米の技術を導入して列強の仲間入りをした日本と韓国には圧倒的な科学技術力の差がありました。(韓国(当時は朝鮮)は『ハングルが広く使われる前』なので,ハングルと科学の発展が関係なさそうなことを示すもう1つの重要なポイントです)
ですので自然科学の発見の全盛期であった20世紀中盤以降に,その差を背景に日本が欧米に次ぐノーベル賞受賞者を輩出したのは不思議ではありません。
一方,近年では自然科学を実用展開する流れが顕著なため,日本の後塵を拝していた韓国は(中国も一部は)、まずは経済に直結する応用研究の分野に投資し,日本に追いつき,追い越しました。特定の科学技術の分野でトップになると,イノベーションを起こさないとその地位をキープできないこと,また豊かになり経済的にも余裕がでてきていることから,今後は基礎科学の投資を進めると思われます。
ですのであまりうれしくはないですが,今後近い将来,韓国もノーベル賞を取る時代がやってくると思います。
かつてはいろいろ尤もらしい理由つけて,韓国だけでなく中国に対しても,日本は「1人当たりGDPで抜かれることはない」「安くても性能・品質では負けない」
と言われてましたが,覆ってます。それはかつて欧米が戦後の日本に言っていたことでもあるのです。
まとめ
議題に戻ると,ノーベル賞廻りの議論にハングル云々は一切出てきません。
なので、先に書いた映画,半導体、家電、スマホ技術に関する矛盾も含め,ノーベル賞とハングルは基本的に無関係と考えています。