今回は「進撃の巨人」でストーリーの分岐点となる,シーズン4の「レベリオ区襲撃」での急展開の前後で感じた違和感について考えてみました。
その違和感とは,なぜあそこまで洗脳があるにせよ,「マーレ国内にいるエルディア人」は「パラディ島のエルディア人」を憎めるのか?あれだけ虐げられていながら,パラディ島勢力にすがろうと思わないのかということです。それにはストーリー進行上の都合があったのでは?という話です。
「進撃の巨人」のストーリーで引っかかること
それは何かというと,シーズン3の最後に明らかになった世界感の中で,『なぜ同族同士の,マーレ内で迫害されているエルディア人(マーレ内エルディア人)とパラディ島勢力(壁内エルディア人)が手を組まないのか?』ということです。
シーズン3までは両者は戦っていましたので,もちろん手を組むには互いに歩み寄る必要があります。
まず壁内エルディア人の立場で考えてみると,物語の前半の話の中心だったパラディ島への無垢の巨人を使った攻撃や,送り込まれた知性巨人(ライナー,ベルトルト,アニー(ジーク,ピーク))は,全てマーレが仕組んだものだと知っています。
そして,主要キャラ(エレン?,アルミン,ミカサ,ハンジなど)たちの道徳の高さを考えれば,いかに先に攻撃されたにせよ,黒幕はマーレだとして,十分に歩み寄りができたと考えられます。
次に,マーレ内エルディア人の立場を考えてみると,「パラディ島の悪魔」や「悪魔の末裔」というばかりで,歩み寄る姿勢が全くありませんでした。
実際のところ,シーズン3までに壁内エルディア人はマーレ内エルディア人に何も危害を加えていませんでした。そして,ライナー,ベルトルト,アニーの潜入により,壁内人類は善良であることを知っていました。また過去の記憶を消されていることもわかっていて,自分たちがしたことに対する復讐心以外,なんの敵意も悪意もないことがわかっています。
にもかかわらず,マーレ内の「壁内エルディア人=悪魔」という洗脳教育のみで,壁内エルディア人に歩み寄らなかったというのことに違和感を感じるのです。
なぜマーレ内エルディア人は歩み寄らないのか?
進撃の巨人の良く使われるアナロジーで,エルディア人をユダヤ人,マーレをナチスに例えてみます。また,ユダヤ人は歴史的に,キリストを殺したということで憎まれ,それがナチスのユダヤ人の迫害の理由の一つとされてましたが,取り敢えずこれを過去のエルディア人(ユミルの民)がしたとされる民族浄化などの功罪だと例えてみます。
このアナロジーで,マーレ(ナチス)によって,マーレ内エルディア人(ユダヤ人)は過去に大罪を犯した極悪民族だと「洗脳」されていたとします。
そのときユダヤ人(マーレ内エルディア人)はご先祖たちを「悪魔」と言って憎むでしょうか?迫害を逃れているユダヤ人(壁内エルディア人)を憎むでしょうか?憎まないと思うのです。いくら洗脳してようが,一番に憎むのは現在進行形で自分達であるユダヤ人(壁内エルディア人)を迫害しているナチス(マーレ)です。
作品の中で,マーレ内エルディア人は壁内エルディア人が憎む理由は2つあります。1つは,マーレの洗脳によって頭ごなしに壁内エルディア人は悪魔だと教えられていること。2つ目は,過去のエルディア帝国が行った民族浄化の罪を不当に償わされている中,大陸にエルディア人の残党を置いて島に逃げたこと,です。
①マーレの洗脳
②マーレに同胞を残して島(壁内)に逃げたこと
戦に負けて島に逃げたことはそんなに怒ることか?
まず理由②:マーレに同胞を残して島(壁内)に逃げたこと,について考えてみます。
もし,マーレ(ナチス)がエルディア人(ユダヤ人)を平等に扱っているなら,相対的に壁内エルディア人を憎むのも分かります。「過去にエルディア人(ユダヤ人)は大罪を犯した。でも今は大切にしてもらっている。過去は過去として反省しよう」「反省してないあいつら(壁内エルディア人)は悪だ」となるかもしれません。
しかし,マーレ内(ドイツ内)のエルディア人(ユダヤ人)はマーレ(ナチス)に,家畜以下の酷い扱いを受けている訳です。自由も無ければ,経済的にも貧しい,犯罪者に仕立てられれば無垢の巨人に変えられる,戦争の道具にされる,などなど筆舌しがたい扱いを受けているのです。
いかに洗脳されていても,現状進行形の酷い扱いによって,エルディア人自身の過去の行いを反省したり,迫害を逃れている(ように見える)壁内エルディア人を非難するより,自分たちを直接痛みつけているマーレへの恨みが増長するのが自然だと思うのです。
ヴィリー・タイバーの演説がダメ押し
ここまで考えてもマーレ内エルディア人が,壁内エルディア人をそこまで憎むのは十分に不自然だと思われます。
一方,仮に「進撃の巨人」の世界では,1つめの理由「①洗脳」が非常にうまく機能していて,マーレ内エルディア人はマーレを憎んではいるんだが,同時に壁内エルディア人も憎んでいたとします。
しかしこの場合でも,ヴィリータイバーの演説により,その洗脳の根幹部分が否定され成り立たなくなるのです。つまり,確かに過去にエルディア人は民族浄化など大罪を犯したが,壁内エルディア人に限ってはむしろ悪行を止めた側であったことが暴露されるのです。
つまり,こうなるとマーレ内エルディア人が,壁内エルディア人を憎む理由がなくなってしまうはずです。いくら洗脳があったとしても解けるはずと思うのです。
一方マーレは,そして同族のマーレ内エルディア人が無垢の巨人に変えては,パラディ島に送り込み,同胞の無実の壁内エルディア人も殺してきた。また,知性巨人に始祖奪還作戦と称して,壁内エルディア人を殺してきた。
同族の壁内エルディア人への罪の意識すら出てくるはずです。
マーレ内エルディア人のマーレへの怒りは頂点に達するのではないでしょうか?
相殺する行為としてのエレンのレベリオ区での暴走
しかしヴィリータイバーの演説の直後に,エレンは暴走します。特に,壁内エルディア人が集まるレベリオ区でです。
だから,『やっぱりマーレ内エルディア人は壁内エルディア人を憎みつづけるのだ,合流しなくて当然だ』となるでしょうか?やなりならないのではないか,と思います。
先ほどのユダヤ人(エルディア人)とナチス(マーレ)の例でいうと,エルディア人を巻き込んだ奇襲攻撃を行ったのは,WW2でいうと差し詰めアメリカ(エレンをはじめとして壁内エルディア人)といったところでしょう(もちろん異なるところも多いですが)。
壁内エルディア人(アメリカ)が行ったレベリオ区襲撃のターゲットは,もちろんマーレ内エルディア人(ユダヤ人)ではなく,マーレの軍幹部(ナチス)です。
こう考えると,マーレ内エルディア人(ユダヤ人)にとって,壁内エルディア人の襲撃はむしろ,ユダヤ人を解放したアメリカのように,憎きマーレを叩きマーレ内エルディア人を解放する「ヒーロー」にすら見える可能性があると思うのです。
WW2でも,終戦前のアメリカのドイツ空襲によりたくさんのユダヤ人が巻き添えになって亡くなったことでしょう。ではそれによって,ユダヤ人にとって『やっぱりアメリカよりナチス(マーレ)だ』となるでしょうか?なるはずがありません。(マーレ)は現在進行形で(マーレ内エルディア人)を迫害していますし,アメリカ(壁内エルディア人)の攻撃のターゲットはナチス(マーレ)であってユダヤ人(マーレ内エルディア人)でないのは明白だからです。
「進撃の巨人」の場合,もちろん「壁内エルディア人悪し」の洗脳の影響はあるでしょうが,壁内エルディア人は同族で,元は仲間です。
そして前述のように,洗脳の根幹であった「壁内エルディア人=悪魔」がタイバーとマーレが作った嘘であることがわかったわけです。そしてパラディ等勢力は,憎きマーレ軍幹部をほぼ壊滅してくれました。
他方で,同じエルディア人の同胞も巻き添えにになりましたが,これは自分たちが騙し続けていたタイバーが図った策略で,レベリオ区をわざわざ演説会場に選んだ訳です。
エルディア人同士組めば戦力的にマーレに勝てる
このように見ていくと,マーレ内エルディア人にとって味方にすべきは,マーレを手玉にとり,力を見せた壁内エルディア人以外に無いように見えます。
壁内エルディア人は非力で長期戦ではマーレに勝てません。しかし,地ならしという切り札をもっているのです。
同胞であり勝算もある壁内エルディア人と共闘することは,マーレ内エルディア人にとって最善の選択のように思えるのです。
不思議なのは,以上に関連して,力を持っているはずのマーレ側の知性巨人たち(ライナー,ピーク,ポルコ)がヴィリータイバーの演説を聞いていながら,自分たちが騙されていたことに対して、結局最終話に至るまで何の説明もなかったことです。ヴィリータイバーとマーレに騙されていた,ということに対する壁内エルディア人側のリアクションの描写が全くないのです。これもさらなる違和感の原因となっています。
なぜエルディア人同士が組まないのか?の答え
これまで「レベリオ区」襲撃前後に感じた違和感について書いてきました。
要は,物語のこれまでの流れからして、「なんでマーレ内エルディア人はそこまで壁内エルディア人を憎めるの?」「なんでこんなチャンスにマーレ内エルディア人は壁内エルディア人と連携しようとしないの?」「なんでヴィリータイバーとマーレに騙されていた,ということに対する壁内エルディア人側のリアクションの描写が全くない?」ということです。
それではこのような不自然な設定となった理由は何でしょうか?
それは,1つの作品として見たときに壁内エルディア人とマーレ内エルディア人が手を組んでチャンチャンというストリーが,いかにもつまらないからだと思います。その後の破滅に向かう(ように見える)ストーリーに進むために必要な設定だからだと思います。
原作の諌山肇さんは常に『ありきたりな話にしたくない』と言ってきて,実際に「進撃の巨人」ははじめから最後までそうであり続けて,多くのファンを獲得しました。
しかし,シーズン3後にこれまで温めてきた驚愕の伏線回収祭りのかなりの部分が終わった,それでも予想を裏切る展開とするため,少し無理のある展開になってしまったのかなと思います。
もちろん架空の世界の話なので,どのようなストーリーでももちろん自由な訳ですが,この部分をもう少し丁寧に描いてくれると,より納得感のあるストーリー展開になったのかなと思いました。
まとめ
今回は,シーズン4の「レベリオ区襲撃」での急展開の前後で感じた違和感について考えてみました。書きながらその違和感の正体と,そのような設定になった理由がわかってきた気がします。とはいうものの「進撃が巨人」が歴史に残る名作であることは間違いなので,今後もいろいろストーリーについて考えたり楽しんでいきたいと思っています。