今,日本の伝統・食文化やPOPカルチャーは世界的にブームです。しかしこれと対照的に,日本の文化といっていいお笑い,特に主流となっている「空気を読む」お笑いは,世界的に受け入れられていません。
例えば,少し古いですが「たけし城」や「料理の鉄人」などテレビ番組のコンテンツ自体は世界で認められ,輸出もされています。
しかし,日本の「空気を読む」お笑いコンテンツが世界に輸出され成功したという話は全く聞きません。これは,「空気を読む」お笑いの代表格である松本人志さんの映画が,世界では(日本でもですが・・・)全く評価されなかったことも含めてです(後で詳しく書きます)。
その理由を考えた結果,日本のお笑いが世界で成功しないのは,よく言われる言語の問題ではなく,ある特定の狭い笑いを良しとする価値観であったり,その価値観の中でお笑いのセンスがある/なしを決めてしまう「お笑いの権威化」が原因,ではないかと思いましたので記事にしてみました。
- この問題に切り込んだ”脳科学者”茂木さんの顛末
- 本当に茂木さんは間違っていたのか?
- 世界レベルの日本の『経済・文化』と通用しない『お笑い』
- 日本のお笑いが世界で通用しない理由
- 『笑い』の1つの形態に過ぎない「空気を読む笑い」の権威化
- メディアをお笑いから『映画』に変えても,また失敗した「空気を読む」お笑い
- 今後も日本のお笑いが世界で当分「通用しない」と思う理由
- まとめ
この問題に切り込んだ”脳科学者”茂木さんの顛末
日本のお笑いが世界に通用しない,あるいは世界レベルに対して劣っているのではないかという趣旨の議論に関しては,脳科学者の茂木健一郎さんの発言,およびその後の炎上が記憶に新しいです。
その一部始終は以下の通りです。
茂木さんは2月下旬、「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」というツイートをし、ネット上で議論になっている。
19日に放送されたフジテレビ系「ワイドナショー」で、松本さんは「このニュースを見たときに、全然腹立たなかったんですよ。茂木さんが全然面白くないからなんですね。笑いのセンスが全くないから。この人に言われても『刺さらねぇぜー』って感じ。ムカっとも全然こない」と述べた。
さらに松本さんは「風刺とか、下から上の人たちになんか言うって、笑いの取り方として、一番安易で簡単なことで誰でもできるんですけど。日本のコメディアンが誰もやらないだけで。そこを言われてもなあと」と反論した。出典:https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/19/mogi-and-matsumoto_n_15480120.html
その後,茂木さんは果敢にも,松本人志さんの「ワイドナショー」に出演し,四面楚歌の中で平謝り。
まるでイジメのように,茂木さんは半ば公開処刑のようになり,見てられない映像となりました。
本当に茂木さんは間違っていたのか?
先ずは松本さんのこの発言。
「このニュースを見たときに、全然腹立たなかったんですよ。茂木さんが全然面白くないからなんですね。笑いのセンスが全くないから。この人に言われても『刺さらねぇぜー』って感じ。ムカっとも全然こない」
まぁ「明らかにムカついているよねぇ」というのは置いておいて,日本のお笑いのモノサシで見たときに,茂木さんがつまらないのは確かです。
自分も,日本のお笑いは好きなので,その意味で茂木さんが面白いと思いません。
ただ,笑いを広く捉えたときに,茂木さんはユーモアもあるし,脳科学者として面白い・興味深い発言をされる方だと思います。
つまりここで松本さんは,自分自身が広めたような「狭義のお笑い」を価値あるものとして捉えているように思います。
今度は茂木さんの発言を見てみます。
茂木:「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」「日本のお笑いオワコン」
松本:「風刺とか、下から上の人たちになんか言うって、笑いの取り方として、一番安易で簡単なことで誰でもできるんですけど。日本のコメディアンが誰もやらないだけで。そこを言われてもなあと」
風刺が面白いか,日本のお笑いがオワコンまで行っているかは別として,言っていることの半分は正しいと思いました。
例えば,日本のお笑いが,上下関係や空気を読んだ笑いに終止しているのは事実です。
また,その結果茂木さんは日本のお笑いを低評価していますが,実際のところ,日本のお笑いが日本以外の世界で認められていないのは事実です。日本の経済,技術,文化,芸術,観光,食,文学,スポーツのいずれも一流で,世界でも認められているのに(大体でてきた順)お笑いのみ,世界で全くウケないのは事実です。
世界レベルの日本の『経済・文化』と通用しない『お笑い』
日本の国際競争力が絶賛低下中ですが,世界に誇るべきものは今でもたくさんもっています。
まず経済で言えば,未だに世界第三位のGDPを誇ります。
産業では,今は車や電子部品は未だに強い分野ですし,海外にいけば街中ですぐにその日本製品の誇りを感じることができます。
言わずもがな,日本の食文化も大成功を収めています。今や日本食は世界の三大料理(フランス,中華,トルコ)の次点の位置づけまで高めています。
文化で言えば,古くからの日本の伝統文化はもちろん,近年の日本映画は世界の映画に影響を与えました。より最近では,漫画やアニメ,ゲームは世界的に大成功しています。
いずれも,言葉や映像で人々を楽しめせたり感動させるコンテンツです。
実際は,自分は欧州に2年ほど暮らしていたので,いかに日本の文化が世界に影響を与えているかは実感しています。
しかし,同じ映像コンテンツでありながら,日本のお笑いは世界レベルで過去にも一度も成功したことがなく,今でも成功していません。
これだけ,海外コメディ映画やドラマ,アニメなどの映像コンテンツが輸入されていながら,日本のお笑いは輸出されません。
海外の人は日本のお笑い芸人を誰も知りませんし,2年間欧州に住んでいて,肌感覚として彼らの影響力を感じることは皆無でした。
(これを突き詰めると,日本のバラエティを中心とした芸能界自体が世界に通用してないのですが,芸No界についてはまた別の機会に記事にしたいと思います。)
あらゆる分野で世界レベルの活躍をしている日本の産業・文化だが,お笑い(芸能)は日本だけの人気にとどまり世界で認められていない
日本のお笑いが世界で通用しない理由
それでは,日本のお笑いが世界レベルの人気がない理由は何でしょうか?
日本のお笑いはハイレベルだが,言語の障壁が高いから伝わってないだけ説
まず,よく言われる「言語の障壁が高いから,日本のハイレベルのお笑いが伝わらない」説を考えてみます。
これはすぐに否定されると思っています。
まず,同じ映像・音声コンテンツである,映画・アニメは,海外で受け入れられているからです。決して,過度に海外仕様にした訳ではなく,日本の独自性を十分に残しながらも,高く評価されています。
また,同じく言語が違う海外コメディは日本に輸入され,日本人に受け入れられています。
言語の問題がありながら輸出されている,映画・アニメ,言語の問題がありながら輸入されている海外コメディがある以上,それぞれ細かい事情の違いはあるにせよ,「言語が違うから説」は説得性を持たないと思います。
言語が異なる映画・アニメは世界に輸出されて大成功,海外コメディは日本に輸入され大成功⇒「日本のお笑いが世界で成功しないのは言語の問題」は無理がある
日本のお笑いレベルは高過ぎて伝わらない説
いわゆるアメリカンジョークのようなものは,単純で分かり易い笑いだと。
日本のお笑いは,もっと高尚で複雑なので,アメリカンジョークで笑う欧米人には理解できない。といった趣旨のことが言われたりします。
日本のお笑い信者と言われるような熱心なファンの中には,実際このように感じている人もいるはずです。
言いたいことは分かります。気持ちも分かります。自分自身も,日本のクスっとした笑いは好きです。
しかし,これには少なくともおかしい点が2つあります。
1つ目は,客観的にみて,日本でしか活躍できないお笑い,世界中で受け入れられ日本にも輸入されているコメディー,どちらが優れているか?
この質問への答えは,さすがに明らかではないでしょうか?
『人気がないけど価値は逆だ』というには,かつてのピカソの絵画のように,よほどの場合でないと,とてもではないが恐れ多くて言えないと思います。
少なくとも,「世界で受け入れられない側が優れている」とは言えないのではないでしょうか?
2つ目におかしいのは,今の日本のお笑いで主流の「空気を読む笑い」が優れている・レベルが高い,とする価値観です。
松本人志さんが広めたような,細かい人間関係や感情の弱い部分をいじったり,クスっとしてしまう「空気を読む笑い」は,確かにお年寄りや子供が気づかなかったり,理解できなかったりすることはあるでしょう。
だからと言って,特定の世代や嗜好をもった人たちに受ける,こういった狭い笑いの方が優れていると言えるでしょうか?優劣をつけられるようなものでしょうか?
その行き着く先に,ごく一部のもの凄く感性が優れた人のみが気づくようなお笑い仮にがあったとして,これが優れたお笑いと言えるでしょうか?
こうなったら,一般受けせずそもそも人気が出ないです。また,そこに価値が感じるのは自由ですが,科学のように絶対的な価値の指標がない以上,単なる自己満足と言われても仕方ないです。
・世界的に人気がない側(日本のお笑い)を,人気がある側(海外コメディ)より優れているというには,「ピカソの絵」のようなよっぽどの理由が必要。
・お笑いの価値が,「単純な笑い」<「空気を読む笑い」とすることに何の根拠もない
『笑い』の1つの形態に過ぎない「空気を読む笑い」の権威化
このような日本で「空気を読む笑い」が主流であること自体は,全くもって問題ないと思いますし,いくら世界に通用しなくても,日本の中で人気があるのは別に良くも悪くもないことだと思います。これはお笑いだけなく,すべての文化的なものに言えることです。
しかし,冒頭に書いたような,茂木建一郎さんのサンドバック状態のように,批判を許さない,事実を事実と言えないような空気が醸成されている。これは問題だと思います。
その背景として,日本のお笑いの権威化があると思います。
これは松本人志さんがすそ野を広げた,クスっとするような笑いを良しとする価値観からくるものです。
人は,うれしいこと,失敗,ものすごいバカバカしいことから,自嘲したり,他人貶めたり,様々なシチュエーションで笑います。
いろんな笑い方があっていいはずなのに,1つのお笑いのモノサシで,お笑いが分かる/分からないという,笑いのセンスがある/ないと,決めるような価値観が日本のお笑いにはあります。
日本のお笑いは特定の権威を筆頭に,批判をしずらい雰囲気になっている。意見をしただけでボコられた茂木さんが実例。
海外の笑いのセンス「Sense of humor」
もちろん海外にも,お笑いのセンスにあたる言葉として「Sense of humor」がありますが,日本とは全然違って,より広い意味での笑いであるユーモアがある,といった意味です。
日本のように,「空気を読む笑い」のセンスが有るかどうか,という意味ではありません。人を笑顔にできるか,広い意味でのユーモアのセンスです。
「空気を読む笑い」は日本独特のものか
ちなみに,自分自身,海外に2年ほどの住んでいた頃,いかに日本のお笑いが面白いか,海外の友人の力説していた時があります。それは,日本のお笑いが海外の軽いジョークのようなものより優れているのに,日本のお笑いが面白くないと思われていそうなのがシャクだったからです。
果たして,意外なことに,日本のお笑いは理解できるし,面白いらしいです。
ただ,特別面白い訳ではなくて,いろいろ形態のあるお笑いの1つとして面白いという(だけとの)ことでした。
別に海外に無い狭い種類のお笑いを紹介している訳ではなく,日本のものと思っていた「空気を読む笑い」は海外の日常生活の中にあり,特にそれだけが偉いとか,優れているとかいってクローズアップしていないだけだと分かりました。
それ以降,日本のお笑いオシはバカバカしくてやっていません。
海外からすると「面白いのは分かるけど,「空気を読む笑い」に特化してやっているのね」という感覚なのです。
決して,分かり易いアメリカンジョークのみが好きで,空気を読む笑いが「理解できなくて面白くない」ではないのです。
一般人が「(お)笑い」について語ると,「素人のクセに」とか茂木さんのようなボコボコにされてしまいます。お笑いについて書いた,この記事もそうでしょう。
要は,お笑いが権威化したのが問題だと思うのです。
2つ目はそう言った価値観を広めた大御所がもつ権威そのものです。その結果,権威には一切歯向かえなくなってしまいました。歯向かえば,茂木さんのように,公開処刑のようになってしまうのです。
そう考えると日本のお笑いは空気ばかり読んで権威批判がないという茂木健一郎さんの指摘はあながち間違いっていないと思えてきます。否定すれば,その「権威」ご本人含めて集中砲火に合うのです。
自ら炎上後に番組出演して生贄になることで,自らの主張を体現したのではないかと思えてきます。
「空気を読む笑い」は日本独特のものでなく,外国人も普通に理解できる。それを突き詰めたのが,日本のお笑い。そこに良し悪しはない。
メディアをお笑いから『映画』に変えても,また失敗した「空気を読む」お笑い
これまで世界的に失敗続きの日本のお笑いですが,それでは世界的な成功を欲していないのでしょうか?答えは『否』です。
松本人志さんの映画作成と海外映画祭への挑戦がそれで,めちゃくちゃ成功したいはずです。
大衆受けする志村けんさんの笑いはコントそのものが外国人に受けていたそうです。
また,ビートたけしさんの万人受けする笑いは,映画の中でも発揮されて,世界的に高い評価を得てきました。世界的な賞も獲ったのは皆が知るところです。
つまり,日本国内ではお笑いで成功し,映画ではそのお笑いのテイストを取り入れたコンテンツで海外で絶賛されたのです。
その後の松本人志さんの映画による海外挑戦は,特に「空気を読む」笑いというジャンルで海外で成功していない,現状を変える機会であったはずです。
そのため,映画の(低い)クオリティからすると考えられないような,権威のあるカンヌ,ヴェネチアなどの国際映画祭にエントリーしていました。
このことから,喉から手が出るほど,海外での成功と栄誉を欲していたことが良く分かります。
果たしてその結果は皆さん知る通りです。最初の「大日本人」こそ話題性で日本国内ではそこそこの興行収入があったようですが,それ以降は尻すぼみ。
「しんぼる」「さや侍」,そして最後となる「R100」に至っては日本国内でも明確に酷評され,それ以降映画の製作はなくなりました。
「空気を読む」笑いは日本のクラシカルな「漫才」や「コント」といった形態のみならず,「映画」というメディアでも世界的に失敗。ビートたけしさんの万人受けするお笑いを織り交ぜた映画の大成功とは実に対照的です。
今後も日本のお笑いが世界で当分「通用しない」と思う理由
日本のお笑いの世界的な成功は当分難しいのではないかと思います。
理由は,繰り返しになりますが,日本では人を選ぶ「空気を読む笑い」がレベルの高い笑いとされていて,「空気を読む笑い」ばかりが熱心に考えられているからです。
一方,世界で受け入れられる「万人受けする笑い」を作ることは得意でないからです。
ではこのトレンドが今後変わるかどうかがポイントになると思いますが,これも難しいのではないかと思っています。
理由は,繰り返しになりますが,「お笑いの権威化」が障害になると思います。
最初の茂木さんの例にあったように,現在の日本のお笑いの価値観に否定的な意見を投げかけると,お笑いの権威やその取り巻きからとんでもない反撃を食らうので,誰も今のお笑いに疑問を投げかけられなくなっています。
こういった中でのお笑い芸人の海外挑戦
こういった現状もあってか,最近,お笑い芸人の海外挑戦のニュースも聞きます。
この記事にも書きましたように「日本の多くの分野が世界で活躍しているのに,お笑いは世界で成功していないので変えたい」という気持ちもあるのではないか,と推測します。
ただ,成功したというニュースは聞かないですし,成功していないのに日本のお笑いの権威への忖度のためなのか,「あいつら(海外の人)全然おもしろくないんだけで,成功は難しい・・」といった発言をときどき聞いて,やはり変わらないのかなとも思ってしまいます。
先に書いた,松本人志さんの映画が世界的な評価を得られなかった事実についても,作成者たちはどのように受け止めているのでしょうか?
想像に過ぎませんが,海外評論家たちの言葉尻を掴んで「あいつら(海外の人)は全然分かっていない」と見下しているのではないでしょうか。
実際に,映画「しんぼる」の公開前後の製作前後番組で「今度の映画では海外にお笑いのレベルを合わせる」といった上から目線の発言や,それに同調する取り巻きの発言を見たことがあります。
取り巻きに囲まれて権威はいつまでたっても真実に気づきません。
このような状況から,今後も日本のお笑いは,お笑いの「権威化」により,狭い「空気を読む笑い」を良しとしる価値観は当面変わらず,海外から認められない状況が長く続くと思われるのです。
日本のお笑いが変わる唯一の可能性~黒船襲来~
と言いながらも,唯一日本の笑いが変化する,変化を強いられる状況が1つ有り得ると思っています。
ここまで何度もでてきた「空気を読む笑い」という狭い笑いのみを評価するというのは,日本の携帯電話が陥ったいわゆる『ガラパゴス』状態です(若干チープなので言いたくなかったのですが。。)。
日本の携帯電話は長い間,日本人の嗜好に合う独特の進化を遂げてきました。
しかし,アップルのスマートフォンというメジャーがやってきて,あっという間に駆逐されてしまいました。
今は,日本の中に,日本のお笑い好きと,海外コメディー好きの両者がいて,共存しています。しかし今後,日本のお笑いが見向きもされないような,本当の面白いコンテンツが海外から輸入されてきたらどうでしょうか?
そのときには,さすがに日本のお笑いも変わらざるを得ないかと思います。
かつて世界を席巻した日本の家電の1つである携帯電話でさえ,iphone登場後は慌ててスマホを発売し,最後には市場からの撤退を強いられましたが。。
まとめ
今回,日本の「空気を読む」お笑いが世界で人気がない・通用しない理由を考えてみました。自分自身,日本のお笑いは好きですし,世界的に無名で通用していないのは,もどかしいですし,残念に思います。しかし,今のお笑いの「権威化」により,狭い「空気を読む笑い」を良しとしる価値観は当面続く限り,海外から評価されない状況は変らないと思います。。