江のブログ

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コロナの対応に見る,国民世論やワイドショーの発言に感じる違和感~感染を広げる国民自身が政府や専門家を批判する不思議~

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 コロナの感染拡大に伴う緊急事態宣言に対して,その発令のタイミングが遅いと政府が批判されています。感染者が増えている傾向は分かっていたのに,緊急事態宣言の発令がもたついたのではないかということみたいです。今回は,このような国民世論に感じる違和感について記事にしてみました。

 

感染広げているのは国民自身

 実際問題,感染を広げているのは国民自身です。感染者数の推移は政府が公表し,国民は熟知しているはずなので,賢明であれば,その数値を見て国民自身が外出を控えたり,事業者であれば営業時間を短縮するなどするのがまず最初だと思います。

 

 しかし,国民自身が主体的に感染を防ぐための対応を十分にしないで,国民自身が感染を広げておいて,「こんな自分たちを止めるための策(緊急事態宣言)を出さないのが悪い!」「政府が緊急事態宣言を出さないから,感染が止まらないんだ!」というのは,あまりにも受け身で,身勝手なのではないかと思います。

 

 これはあたかも,犯罪者が「自分を止めないから犯罪をするんだ」「禁止する決まりをつくらない方が悪い」とうそぶいて正当化するのと変わらないと思います。

ポイント

感染を広げている国民自身が,「自分たちをコントロールせよ」と懇願していることに違和感を感じます

 こういう反論があるかもしれません。

 国民の中には感染拡大の状況を鑑みないで,自分勝手な行動をとる人もいる。こういった人達(やから)を止めるために,緊急事態宣言が必要なんだと。

 

 これは大部分正しいとは思うですが,少なくとも自分や身の回りの安全確保ということでは,自分が外出しなければ感染はしません。「会社からは出社しろと言われている。だから緊急事態宣言がないと・・・」⇒自分の判断で休めばいいだけです。

 とにかく人任せ,同調圧力まかせで主体性がないのが日本国民の特徴の1つだと思います。

 

 ともかく,そもそもが自分たちでコントロールすべきできることである以上,緊急事態宣言のタイミングなど,政府の落ち度として批判する権利ってあるんでしたっけ?と思ってしまう訳です。

前代未聞の事象での判断は難しい

 そもそも論である国民が「人任せ」であることはひとまず置いておくとして,もう1つのポイントである「緊急事態宣言を出す/出さない」という判断について考えてみます。

 結論からいうと,この判断,相当に難しいことだと思います。

 

 細かい技術的な話になりますが,宣言を出すタイミング一つとっても,相当な専門知識が必要となることは容易に想像できます。

 前代未聞のパンデミックに対して,感染者がどう推移していくのか?ウイルスの変種による感染力の変化,1年前からの経済状況の変化,国民の意識の変化,等だけでも,予測は困難です。

 当然,最新のAIで感染者数の予測は行っているはずですが,前代未聞であるためにAIに学習させるデータも数・質ともに不十分なため,高精度な予測ができていません。

 

 緊急事態宣言をだすのに必要な,感染者数の予測だけでなく,どの業種をどの程度自粛させるのか?地域による違いはどう判断するか?など,他に考えるべきポイントは山ほどあり,それぞれが相互に判断に影響を与えます。

 

 このような難題に対して,必須の知識である,AI,統計,医療,経済の専門知識を何一つ持ち合わせていない人達が「判断が遅い」と批判していることに違和感を覚えます。

ポイント

専門知識に乏しい人達やワイドショーのコメンテータが,有識者の判断を悪さを指摘していることに違和感を覚えます

 

基準を決めるべきとの意見があるが・・

よくワイドショーのコメンテータなどから,少なくとも次のアクションに移るための基準を決めておくべきだった,との意見を聞きます。これはつまり,例えば感染者が何人以上の場合にどのように対処する,といった基準値のようなものが必要ではないかという意見です。

 

 実際そのような基準があればすぐにでも策定すべきと思います。しかし,上でも書いたような前代未聞の時代に対して一義的に決められる基準などあるのでしょうか?刻一刻と状況が変化するなかで杓子定規に決められる基準などあるのでしょうか?

 

 基準を遵守して事を進めれば,「杓子定規・官僚的に進めるな!」さらには「本当に国民のことを考えているのか!」という批判がでてきますし,

 基準を柔軟に変えて事を進めれば,「決めたことと違う!不公平だ!2枚舌だ!」と批判したり,結局「基準がない!」となり,どっちにしても批判されます。

 

 つまり言いたいのは,どんな状況でも万能な基準などない,ということです。

 このことからも,「少なくとも基準は決めておくべきでは・・」というのは,もちろんできるならやるべきですが,実際には難しいということです。

 

結局国民が批判しているものとは?~攻撃しやすものへの八つ当たりが許される世の中

 それでは,自分自身に正当性がないのに国民は何に怒って,そして何故怒れるのでしょうか?

 それは,コロナのパンデミックという絶対悪の状況下で,感染を広げている当事者でありながら,「この不満・不安・怒り」を誰かにぶつけたいということだと思います。

 

 これは,震災や天災の場合も同じです。

震災や天災のような「絶対悪」の状況があると,残念ながら国民の不利益は避けられません。そうするとその不利益に対して,怒りをぶつけたくなります。ただ,『自然』に怒りをぶつけてもしようがない。なら,『政府の震災対応の悪さを叩いてやろう』というのがモチベーションです。

 

 この点に関した特化した記事では下記があります。併せてご覧ください。

giron.hateblo.jp

 

 コロナに話を戻すと,コロナの場合は,国民の行動自体が感染を拡大している訳で,自然災害より質が悪いと言えます。自分たちに責がありながら,状況改善に取り組む専門知識を有する人たちを,何1つバックグラウンドとなる知識を持ち合わせていない国民が批判する。

 政府やそこで働く専門家は最も袋だたきにして,バッシングしやすい相手です。

 本当にどうしようもない人達だと思います。

 

 こういった人たちのわがままに完璧に寄り添うのが,昼間にやってるワイドショーのコメンテータの発言なのですが,これは別の機会に記事にしたいと思ます。

まとめ

 今回は,コロナの対応に見る,国民やワイドショーの対応に感じ違和感について記事にしました。これ(不満を誰かにぶつける)が世の常と言ってしまえばそれまでですが,少なくとも自分自身が「どうしようもない人達」の側にならないようにしたいものです。