今回のお題について始めに断っておきますが,「誰にでも自由に意見する権利がある」という主張はもちろん全面的に賛成です。ここで言ってるのは,最近,芸能人,俳優,スポーツ選手などの有名人が政治的な発言をして炎上した際に使われる「誰にでも自由に意見する権利がある!」が,間違ったシチュエーションで使われていたり,日本全体にとって悪影響もあるのではないか,と考えたので記事にしてみました。
- 1.芸能人のスポーツ選手などによる政治的発言
- 2.芸能人の政治的発言に対する世間のバッシングは「甘め」
- 3.「バッシングに対する芸能人側の反応」に共感する世間
- 4.「誰にでも自由に意見・発言する権利がある!」に感じる違和感
- 5.安易な本業以外での発言のリスクと悪影響
- 6.まとめ
1.芸能人のスポーツ選手などによる政治的発言
最近、政治家や評論家以外の芸能人やスポーツ選手による政治的発言が増えているようです。その後の顛末を見てみると,炎上することも少なくないようです。
最近では,柴咲コウさんの「種苗法改正案」への発言であったり,歌手・きゃりーぱみゅぱみゅさんの「検察庁法改正案」の抗議しかりです。
個人的に,そもそも上記の政治的な問題は,素人はもちろん,その道のプロでもあっても,白黒つけられるような簡単な問題ではないと思っています。本来は,『この部分では良いけど,別の部分では良くないから,賛成(または反対)』というような議論であるべきはずです。
芸能人の発言を見ていてその殆どに共通するのは,賛否ある中での「賛成派,反対派」の一方から聞いたキャッチ―な意見に突き動かされているだけのことが多い,ことです。そして,当該分野に関する知識が明らかに足りていない,と感じることが多いことです。その結果,議論としては叩かれても仕方がないかな,と思える意見が多いように思います。
有名人の政治的発言は炎上しやすい!
2.芸能人の政治的発言に対する世間のバッシングは「甘め」
一方,目に見える,いわゆるバッシングと呼ばれる批判意見の多くが,「素人のクセに生意気に政治のことに口を出すな」とか「自分の本業に集中した方がいいのでは」といったものです。さらには,本人以外の関係者を取り上げて批判したり,そもそも関係のない過去の発言や失敗などを取り上げて批判したり,もあるようです。
正直いって,聞くに堪えないような誹謗中傷が殆どです。
このようなどうしようもいない理不尽な誹謗中傷ともいえる批判があるのである意味しょうがないのかもしれませんが,批判された芸能人やスポーツ選手は当然のように反論します。
そこで,自らの主張への批判への反論と別に,共通的に出てくるのが「誰にでも自由に意見する権利がある!」です。また,「自由にものを言える社会になることを望みます。」というような言葉をつけ足したりします。
3.「バッシングに対する芸能人側の反応」に共感する世間
「誰にでも自由に発言する権利はある」「自由にものを言える社会になることを望みます」これは考えてみれば当たり前のことです。
そのため,これらを聞いた世間の反応は,「こんな当たり前の権利すら侵害するクレーマーはけしからん」という流れになります。かといって,メディアは世間を敵に回すとやっていけませんから,クレーマーはごく一部であり,「世間一般≠クレーマー」であることを強調したりします。
そして『有名人の政治的発言』は次のように収束していきます。
『彼らの発言に至らないことはあったけど,「発言の自由」という当たり前の権利を侵害する世間のごく一部のクレーマーはけしからん』
そして,うやむやになっていく場合が多いようです。
有名人の政治発言は,最終的には「過剰反応したクレーマーや権力側が悪い」といった流れで終わる場合が多い
4.「誰にでも自由に意見・発言する権利がある!」に感じる違和感
自分はこの流れ自体は特に否定する気はありませんし,着地点もそんなに悪くないと思っています。芸能人たちの意見は稚拙ではあるものの,そこまでバッシングを受ける必要もないし,賛成・反対のどちらかの意見の一部を切り取ったような単純な意見が殆どなので,最後は発言自体忘れ去られるのが妥当と思うからです。
ここでもう一度,芸能人たちの発言を振りかえってみます。「誰にでも自由に発言する権利はある」「自由にものを言える社会になることを望みます」・・・
ということは実際問題,彼ら,彼女らは自由に発言する権利を奪われているのでしょうか?
客観的に見れば,これらの芸能人たちは他の誰よりも,その分野の専門家でもなく,熟慮した訳でもないのに,発言ができていると思われます。そして,誰も自由に発言する権利を奪っていないです。ある意味,最も発言する自由を持っているはずなのに,なぜこのような発言をするのでしょうか?
自分には,本能的に自分を守ろうとする,稚拙な議論を正当化するための発言に聞こえます。つまり,実際には『自分の意見を尊重して欲しい』という自分勝手な主張に過ぎないのですが,『自由に主張することを認めて欲しいだけ』という議論にすり替えているように感じてしまいます。そして実際,世間を味方につけたいのだと思えます。
5.安易な本業以外での発言のリスクと悪影響
少し邪推が過ぎましたが,自分は「誰にでも自由に意見・発言する権利がある」に感じる違和感以外に,芸能人の稚拙な政治発言自体にも問題があると思っています。
それは,発言力がある人が公に不特定多数に稚拙で単純化された一方的な意見を言うことで,世間をミスリードしたり,世間全体の知的レベルを下げたり,判断を誤らせたりして全体の利益を損ねる,ということあるのではないかと思うのです。
芸能人,スポーツ選手等,誰でも政治的発言するのはもちろん結構。ただ,稚拙な意見を言うことで国民の知的レベルを下げたり,良からぬ煽動に繋がる恐れがあることを懸念。
具体的には,仮に有名人が間違った発言をすると,思慮に欠ける一定割合の人たちは信じてしまいます。いくら無名な人が正しいことを言って自分の知り合いのクチコミだけで頑張って意見を広めようとしても拡散されませんが,有名人がSNS等で広める稚拙で間違った意見の拡散力の方が圧倒時に上です。数の議論だけではありません。その発言者のファンは,妄信する傾向があるので,同じ間違った意見でもより信じ易いです。
これが公共のメディアでの有名人の発言が影響力を持ってしまう恐ろしさです。
ちなみに世間一般の普通の人は,そもそも発言の場をもっていません。良い意見を持っていても表に出ないことは勿体ないことですが,一方思慮に欠けたイマイチは発言も,発言力がないことで世間に出ないで済んでいると思うのです。ネットで誰もが発言できるようになりましたが,リアルな世界で発言力が無い人はネットでも大した発信の場も与えられないので,幸運なことに意見は拡散されません。逆に,どんなに良いことを言っても,有名人に拡散して貰ったりしない限りは,残念ながら拡散されません。
少し話がそれましたが,有名人が本業以外の例えば政治発言を安易にすることにはリスクがあるということです。こういったネガティブな点があるので,発言の自由はもちろん無くてはならないものですが,不特定多数に向けた意見の場合は,同時にその内容も問われます。そして,思慮に欠けた意見した場合には,厳しく否定されても仕方ない思います。
ご本人たちは,自分の利益ではなく全体を考えて『人々が自由にものを言える社会になることを望みます』といいます。しかし,同時に『(発言力のある有名人ので軽はずみで稚拙な偏った意見に左右さず)人々が社会全体にとって最もメリットのある賢明な判断ができるような世の中になること』も望んで頂きたいと思います。
最後に,本件に関する松本人志さんの発言を載せておきたいと思います。
「自意識過剰かもしれないけども、大して知らないくせに僕がそこに1票投じることで僕に関心のあるファンというか、そういう人たちを引っ張り込むのも申し訳ないなという思いがちょっとしてしまうんですよね」
「全体を見てYESとかNOとか言える問題じゃないんですよ」「部分的に『ここは違う』とか『ここは別に』とか。なかなかこれはね」
出典:ワイドナショー 2020/5/17
6.まとめ
今回は「誰にでも自由に意見・発言する権利がある!」に感じる違和感について記事にしました。類型は今後も永遠に繰り返されるはずなので,本記事の意見も気にして見て貰えれば幸いです。