江のブログ

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『死後の世界』はあるのか?~『死=無』の理由と,死とどう向き合い生きるべきか?の考え

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 人は死ぬと何処にいくのでしょうか?死んだらどうなるのでしょうか?死後の世界はあるのでしょうか?(ところで,この記事は訳の分からないスピリチュアルな話では全くありません(笑))

 これまで40年ほど生きてきた経験からすると,日本では割と多くの人が死後の世界を信じているように思います。死後の世界については,日本だけではなく海外でも興味の対象で,古くは発明家のトーマス・エジソンが死後の世界と交信するための装置を開発しようとしたことは有名な話です。では,ワールドワイドで歴史もある『死後の世界』の概念ですが,本当に存在するのでしょうか?

 今回の記事の結論を言ってしまうと,死後の世界はなく,死とは無であり,死ぬ側の感覚としてはいわば永遠の眠りであろう(経験した訳ではないので)ということです。それでは,なぜ死後の世界はこれほど多くの人に信じられてきて,必要とされてきたのか。また,死=無だとすると今なんのため生きているのか?そしてどうやって生きていけばいいのか、について考えていきたいと思います。

 

1.死後の世界がないと考える理由

皆が想像する死後の世界とは?

 まずは,一般的に信じられている死後の世界とはどんなものでしょうか。

 良く,有名人が亡くなったとき,「そっちで先に待っててね,自分もあとで行くから」というような場面をよく見ます。ここから想像するに,多くの人にとって死後の世界とは,生前自分が親しかった人たちと再会し,語らう場,というイメージかもしれません。

 個人的にも,このような世界があればどんなにうれしいかと思います。しかし,悲しいかな,このような世界は存在し得ないと思っています。

死後の世界がないと考える理由

 まずよく言われることではありますが,死後の世界には過去に死んだ全ての人間(どころか生物も全て)が同居することになります。彼らは,どこで,どのような時間を過ごしているのでしょうか?この狭い地球で現世と共存しているのでしょうか?そもそも,死後に世界の人々に衣食住は必要なのでしょうか?だとすると,家があり,スーパーがあり,アパレル業界があり・・・と現世と何ら変わらない世界になってしまいます。

 

 また,話を成立させるために衣食住が不要な別世界と仮定するなら,それは我々がイメージする死後の世界とは全く違ったものであり,そこにいる人々も得体の知れないなにか,ということになるでしょう。それこそ,最初に書いた「そっちで先に待っててね,自分もあとで行くから」など,生前親しかった人たちと再会し語らう場,という多くの人が持つ死後の世界のイメージとはかけ離れたものとなるでしょう。

 

 また、死後の世界はなんとなく善人が集う場として想像しがちですが,当然のように過去の全てをひっくるめた世界中の大悪党だっていて良いことになります。彼らは,死後の世界が最後の世界ならと,これまで以上に悪事をするかもしれませんし,それどころかもともと悪党でなかったものも死後の世界が不死であることを理由に悪事をしだすかもしれません。そうなってくると,「先にあの世でまっているから・・・」など呑気なことは行っていられるような世界ではありません。

 

 こうならないように,前世で悪事をしたものは天国に行けない,という子供のことから馴染みのある考えがあるのだとは思います。しかし,このような選別は、『誰』がどのように善人,悪人を見極めて行うのでしょうか?それこそ,閻魔様のような存在を仮定せざると得なくなり,荒唐無稽と言えます

 

 少々くらだらない話になってしまいましたが,つまり,死後の世界を仮定する,さまざまな破綻が起きてしまい,死後の世界は存在し得ないということになります。

ポイント

死後の世界は現実を直視したくない人間がつくりだした都合の良い世界。実際には存在しない。

 

2.死=無

死とは無であり,感覚的には永遠の眠り

 死後の世界もなければ,死ねば意識も残らない。つまり『無』だと考えます。

 これまで当たり前に持っていた,自意識がなくなります。現世では,自分が死んだ以外なんの変化もなく,自分が親しくしてきた人々,財などは残りますが,これらを捉える自意識がなくなります。つまり『無』だと考えます。

自分が『死=無』と考える理由

 当たりまえですが,死は人生で一回限りです。死後の世界があったとしても,少なくとも現世では一回切りです。死を経験したことが無い以上,死の状態についてはイメージするしかありません。

 また,自分はまだ大病に罹ったり、大きな事故になったことがなく,生死を彷徨ったことはありません。死を直接的に間近に感じたことすらないため,イメージすることがより困難になります。これは殆ど全ての人にとって同じで,これが死をイメージしにくくし,死後の世界やその他多種多様な想像を生む原因になっていると思います。

 

 なので想像するしかない訳ですが,自分が死=永遠に眠りと考える理由はとても単純です。例えば,熟睡して夢も見ない無意識状態で寝ていたとします。その際中に何らかの原因で,安楽死のように無刺激で死んでしまうとします。

 するとどうなるでしょうか?寝たままの無意識が継続して,死に移行する考えるのが自然ではないでしょうか?

 死んで死後の世界に連れられる途中に意識が覚醒するでしょうか?しかし,死んだらもう思考に必要な脳はありません。つまり意識が戻ることがありません。

 つまり死ねば,そのまま寝ている無意識状態が永遠につづく,所謂永遠の眠りに入ると考えられます。

ポイント

死=永遠の無意識であり,再び2度と脳が覚醒することはない

 

3.人間が死後の世界があって欲しいと考える理由

 ここでまた話を最初に戻して,人はなぜ死後の世界を考えたくなるのか?についてです。先ほど,殆ど全ての人は,死を間近に感じたことがなく,これが死をイメージしにくくし,死後について多種多様な想像を生む原因になっている,と書きました。しかし,その中でさらに,『死後の世界』なるものを想像したくなるモチベーションは何でしょうか?

 それは,死後の世界を考えないと,あまりにも人生が儚いからだと思います。

 この世界で成している努力,友人との関係,そして親子の存在や関係性,そういった今の自分を支えるものが,死ぬことで全て無になることが認められないのだと思います。これは,自分自身の死についてもそうですし,自分が愛するものに死についても同じです。  

 また,別の見方をすると,最終的に無になると分かっている中での,生きるためや自己の成長のための努力,友人との関係,そして親子の存在や関係性,など全て悲しくむなしく感じる。そして何より全てに無になるにになぜ「自分は生きているのか?」という考えに至ってしまいます。

 

 こうした辛く儚い現実から目を逸らすのに都合のいい考えが,『死後の世界』の概念だと思うのです。そこでは,死別した友人,親,子に再会でき,肉体は滅びても自意識が残る世界です。現世で『死後の世界』をイメージすることで,現世の行いに意味が与えてくれるのです。つまりは,精神安定剤的な役割です。

 

 しかし,『死後の世界』について一度立ち止まって考えてみると,1節で書いたようにあらゆる論理破綻が生じてしまうことが分かります。つまり,『死後の世界』は,前世の行いに意味を持たせるために必要だが,深く考えると綻びがあるので詳細には目をつむる,とても都合のいい概念あるいは人間の弱さを映し出した考えだと言えます。

ポイント

死後の世界は,「死=無」という辛く空しい現実を受け入れられない人間が考え出した概念

 

4.『死=無』を認めた上での生き方

『生きていてもどうせ無になる⇒今死んでも同じ』ではない

 それでは,生きていてもどうせ無になるなら,今生きていてもしょうがないのでしょうか?極端な話,自殺しても同じでしょうか?それは違うのではと思っています。

 生きていてもどうせ無になるという事実は,人生をポジティブに捉えるか,ネガティブに捉えるかという点においてニュートラルな情報です。どうせ無になるからといって,今すぐ生きるのを止めた方いい,あるいは逆にできるだけ長く生きるべき,とかいうメッセージではないと思います。『死』=『無』というのは,それ以上でも以下でもない真理のようなものだと思っています。

死=無を意識するメリット

 ここまで,『死後の世界』とは、『死=無』を認めた場合の虚しさから目を逸らすための概念である,としてきました。

 一方,真実を直視して『死=無』を認めるデメリットとしては、なんとなく生きているのがばかばかしくなったり,日々のモチベーションが下がったりがあると思います。しかし,メリットもあると考えられます(若干俗っぽい内容になりますが)。

 それは,死を意識することで,残りの人生あるいは時間が貴重なものに見えてくるということです。よく自己啓発的な言葉で,人生を逆算して考える,という言葉あります。実際,そのように考えて人生設計すると,やるべきことが見えてきたり,モチベーションが湧いてきたりするものです。

個人的な考え

 最後に個人的な考えも述べたいと思います。個人的には,死=無であり,生きても最終的には無になる,と受け止めた上で,どうせ死ぬで無になるんだったら死ぬぎりぎりまで思う存分生きてやろう,と思っています。このブログだって最終的には,更新が止まり,やがて誰にも読まれなくなり,自分も死んでなかったことになる。そうかもしれませんが,死ぬぎりぎりまで生きていく中で,有意義な活動の中の1つだと思うからブログも続けている訳です。(まだはじめて1年も経っていなく,そこまではっきりと死を意識している訳ではないですが。)

 また,人間は無となる事実を受け止めた上で強く生きられる存在なのだとも思っています。それこそ人間は客観的事実として,他の動物とは違い,死後は無であることを認識することができる特別で唯一の存在と思うからです。

ポイント

死=無を認めた上でも,人間は前向きに,むしろ人間らしく生きることができる!

5.まとめ

  今回は,多くの人が一度は信じたことがあるであろう『死後の世界』について考えてみました。何かの参考になれば幸いです。