江のブログ

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最近の子供の学力が低下していると言われる本当の理由は?『頭の回転の速さ』など『学力』の基準の変化

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 おはようございます。えの吉です。今回は,教育について考えたいと思います。自分も20数年前までは学生で,紙の参考書を使ってせっせと受験勉強をしていました。今の子たちを見ると,参考書はカラフルでとても見易く,塾の講義もオンラインで簡単に人気講師の授業を受けられるようです。我々の世代ではハズレ講師を引くことも当たり前だったのですが。。

 しかし,メディアで盛んに言われているのは,『今の子供たちの学力が低下している』ということです。教育環境は改善しているのに学力が低下しているのは矛盾している気がします。今回はそれについて考えたいと思います。

 

1.勉強方法の昔と今

昔(1990年代)の勉強方法

 自分が学生だった頃は塾など1つ行けば十分でした。それも集団授業。今の子は,個別指導が当たり前です。また,昔は中学受験などは,一部の限られた,今で言う意識高い系(の親??)の子供がすることでした。しかし,自分が住む神奈川では,私立中学受験が当たり前になっているそうです。

今(現代)の勉強方法

 現代は,長年にわたる教育ノウハウの蓄積だけでなく,幼児で言えば最新技術を使った数えきれないほどの種類の知育玩具、学生でいえばIT技術など駆使した洗練された塾があります。教育の質という面では,間違いなく数十年前より改善しているはずです。
 では、現代の子供たちは昔より賢くなったのでしょうか?

 残念ながら,学力という観点では,そのような話は聞きません。本当に賢くなったのであれば,何かしらのテストなど,客観的指標が上がったという話やニュースが出てくるはずです。しかしそんな話は一切聞かず,むしろ学力が下がっているという話ばかり聞きます。まず事実関係を確認してみましょう。

2.学力の推移について事実関係を確認

 まずは統計的にどうなのか,国際競争力と,日本国内での過去と現在と2つの観点で事実を確認してみます。

国際競争力

 こちらは,経済協力開発機構(OECD:Organisation for Economic Co-operation and Development)の加盟37か国の中での日本の順位の推移です。これを見ると,国と国との比較による相対評価では,順位が下がっているということはなさそうです。

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出典:JIJI.com

日本国内での過去と現在の比較

 一方,こちらが日本国内で小学校の算数の同じ問題を時代を変えて実施した結果です。明らかに,昔と比べて点数が下がっています。

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出典:http://www.ic.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2003/hirabayashi.html(「学力低下」の実態 岩波ブックレットp.16が引用元)

 これらの結果より,以下のことが言えます。

  • 世間でよく言われる現代の子供たちの学力低下は事実。しかし,国際比較ではなく,日本国内の過去と現在を比較したものである

 それでは,改めて『教育環境は改善しているのに(日本国内の過去と現在と比べて)学力が低下しているのは矛盾』について考えてみましょう。また学力が下がっているのだとすると現代人が優れているのは一体何なのでしょうか?

ポイント

昔と比べて現代は,勉強に関わる「環境」「道具」「方法論」の全てが優れているはずなのに,学力は上がっていない

 

 

3.今の時代の『賢さ』の基準の変化

旧来的な学力の変化

 1つ思い立つのが,賢さの基準が変化しているのではないか?ということです。昔であれば記憶力や情報の処理能力が賢さの基準でした。しかし,現代ではPCやスマホ,タブレットがそれらにおいて人間以上の機能を持っていて,人間には記憶や情報処理能力より,思考力や発想力のほうが求められています。したがって,旧来的な学力である記憶や情報処理能力は下がっているかもしれないが,思考力は発想力については伸びている可能性はあります。また,思考力や発想力は試験では測ることは難しいので,客観的に示されていないだけ,という可能性はあります。

『頭の回転の速さ』がもてはやされる時代

 もう一つの賢さの基準として,最近では「頭の回転の速さ」というものが持て囃されています。コミュニケーション能力と言い換えてもいいかもしれません。この方向性は,今後のデジタル社会の到来を考えると,AIではできない人間的なコミュニケーション能力が求められのはある意味必然であり,妥当なのかもしれないです。

 話を戻すと,この能力も,上記と同様に現代人は昔より優れている可能性があります。試験では測れない『賢さ』だから顕在化していない,ということも考えられます。これは,なんとなく最近の若者のプレゼンを見ていると,明らかに昔の世代,さらには我々の世代よりうまくなっていると感じますので,一定の正しさはあるのかもしれません。

現代人が昔の人より優れている点 

 そう考えると以下のような可能性が考えられます。現代人は,幼児期の知育や学生時の教育レベルの向上により,記憶や情報処理能力は昔より容易に身に着けやすくなっている。一方,現代に求められる能力は,思考力,発想力,コミュニケーション能力であり,それを敏感に感じ取り,記憶や情報処理能力の向上に向けた努力はほどほどに,コミュニケーション能力獲得に力を注いでいる。このため,学力テストなど記憶や情報処理能力を見るテストでは昔とあまり点数が変らないか,低い。一方,試験で能力をはかりにくい,思考力,発想力,コミュニケーション能力においては伸びている。特に,コミュニケーション能力については能力向上は確かに実感することもある。ということにならないでしょうか。

ポイント

現代人は,昔の学力の指標であった情報処理能力では劣るが,コミュニケーション・自己表現能力では勝る?

 

4.今後のあるべき教育と学力評価

 以上のように解釈すれば,「教育環境は良くなっているはずなのに,学力が伸びていない」という疑問に答えられそうです。つまり,旧来的な学力が記憶力や情報処理能力だったのに対し,今は思考力,発想力,コミュニケーション能力が求められていて,それを学生側が感じとって,旧学力の能力開発に精を出さない。しかし,試験は旧来的なので,学力が下がって見える,ということです。これらの仮設を検証するには,思考力,発想力(これは実際伸びているか疑問だが),コミュニケーション能力を正確に測る試験が必要です。

 もし,思考力,発想力,コミュニケーション能力が現代社会において,日本の国際競争力を高める重要な要素であるなら,『学力』というものを再定義し,これらの能力をよりダイレクト測る試験やテストなりが必要になります。

さらに,教育の内容についても,そうです。最初に述べたように,ただ単に昔の参考書をきれいにビジュアライズしたり,オンライン講義で利便性を上げるだけでは不十分です。むしろ現代に必要な能力に合わせた,教育の質的な変化むしろ求められると考えます。