江のブログ

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共通テストでの「記述式」「スピーキングテスト」不採用の顛末から見る因果関係の捉え間違え

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 新しい大学入試センター試験の位置づけで導入が検討されていた,①英語のスピーキングテストおよび民間の英語試験導入,②記述式問題の採用,が見送りになったとのニュースがありました。

 個人的に,これは正しい判断だったと思いますし,さらに見送りではなく当面中止にすべき案件だと思っています。

 これらの問題①②に共通しているのは,現象と結果の安直な短絡,物事の片面だけに注目してプラス,マイナスの両面を見ないで議論が先走ってしまった事例だということです。

 

「記述式試験」にすると『思考力』が身に付くのか?

 記述式で,思考力を見れる,その一点においては賛成ですが,採点の公平性や手間など,デメリットが多すぎます。

 第一,選択式のセンターを足切りとして,2次試験では記述式は導入済なわけで,わざわざ全員に2回も記述式を受けさせる理由がわかりません。

 最も公平性が崩れるという最大のリスクをみすごしたまま,少しばかりのメリットを見て議論が先行した結果です。

「スピーキングテスト」を導入すると『英語運用力』が身につくのか?

 これは,英語にスピーキングのテストを導入するというのも同じです。

 現行のセンター試験はかなり良い問題で,将来的なスピーキング能力獲得のポテンシャルも十分測れます。私は,センタ―試験の英語はほぼ満点でしたが,当時はほとんど英語をしゃべれませんでした。

 でも,会社にはいってから必要に迫られてスピーキングのトレーニングをして,短期間でしゃべれるようになりました。まわりを見ていても,しゃべれるようになったのは,もともと高校時代に英語が得意だった,テストでいい点を取っていた人たち,その以外では英語の勉強を頑張った人たちばかりです。

 基礎ができてないと,素人目にしゃべれていても,かなりブロークンでネイティブにも半分くらいしか伝わらない英語しかできないというのが実感でありこれまでの経験です。少し話はそれましたが、現行のセンター試験でも英語の能力,あるいは伸びるポテンシャルは十分測れるということです。
 これより,スピーキング試験の問題として,大学入試において最も重要な公平性が担保されないことが大きいです。結局,スピーキングテストの試験官の質や,受験者側としては試験のために準備した想定質問が当たるか外れるか,の運的な要素が多分に出てきます。

 であれば,将来の英語運用力を測ることにはなりますが,公平な現行の英語テストの方式を採用し続けるべきと思います。

ポイント

現行方式「選択式」「読書き中心の教育」の悪いところだけをクローズアップして良いところが無視され,新しい「記述式」「スピーキングテスト」の良い点ばかりが注目され,悪い点が無視された議論になっています。

日本人の『思考力』『英語運用力』が低いと言われる理由

 そもそも,この手の話が出てくる背景として,現行の選択式の試験が良くないから思考力が身につかない、現行の試験が良くないから英語をしゃべれない,という思い込みがあるように思います。

 思考力はともかく日本人の英語力が低いのは事実ですが、それが教育や試験のせいかといえば全然違います。

 日本人の英語力が低いのは、日本では英語が話せなくて生活に困ることは少なくとも今現時点では皆無であり,その理由として日本がこれまで世界的に経済力が強かったことがあげられます。また,教育シーンでは,日本の恥の文化,というか空気を読む文化が関係していて,正確な英語の発音をわかっていてもしづらい空気があるといます。

こういった理由があるにも関わらず,思考力や英語力が低いといった客観的な悪いデータがあると,それらに関係する大学の試験内容に非難の矛先が向く,要改革の声があがってしまうのです。まさに,現象と結果の安易な結び付けです。; 個人的には,英語力などより,このような意見がまかり通る日本人の論理性の無さというか、理性の働かなさがむしろ問題ではないかと思ってしまうのです。

まとめ

 今回は共通テストでの「記述式」「スピーキングテスト」不採用の顛末から見る因果関係の捉え間違えについて記事にしました。今後は,物事の本質を見失わない議論が進められることを期待したいと思います。